傍流雑記帳

「本流」をはずれたら、気づいたことがたくさんあった。

不幸の増殖

川崎市で悲惨な事件が起きてしまいました。

犯人が死亡しているので動機は分かりませんが、「上級国民」の子女が通う学校が狙われたという点で、池田小事件を思い出します。

もし、同じ動機だとすれば、それは「社会への報復」ということになるのでしょうか。

 

2015年の新幹線放火事件、2016年の杉並サンバカーニバル火炎瓶事件などでも、事件直後に犯人が自死していますが、これらの事件も、社会に対する憤りが引き起こした犯罪ではないかと推察されます。

 

日本は、諸外国に比べて、比較的貧富の差が小さいと言われています。

実際、餓死する人は極めて稀ですし、スラム街も見かけなくなりました。

しかし、「みんな横並びで、周りと一緒であること」が重視される日本の社会では、一度レールをはずれると社会から疎外され、「相対的貧困」に陥ってしまうケースが非常に多いのが実情です。

 

その典型的な例が、就職氷河期に社会人となり、不安定な人生を歩まざるをえなくなった人たちです。これは、そもそも「新卒一括採用」という、きわめて不合理な雇用慣習によるものですが、学校を卒業した年の景気がその人の一生を左右するなんて、ほんとにおかしな話です。

 

最近になって、政府が彼らの「就職支援」に乗り出したそうですが、もう40歳前後になっている人を新たに「訓練」して企業に採用を促したところで、ブラック企業で都合よく使い捨てされるのが関の山でしょう。

人手不足と高齢化対策の一環として、どこかのお役人が考えたことなんでしょうが、「10年遅いんだよ!」といったところでしょうか。

 

今回の事件を受けて、「引きこもりを社会復帰させる施策」とやらも検討するそうですが、なんだか、また的外れなことをやらかしそうな気がします。

 

そして、「下流老人問題」も深刻です。年金だけではとても暮らしていけない人はたくさんいますし、現役時代は順調だった人も、ちょっとした事がきっかけで、下流老人に転落してしまうのですから、大変です。今後、超高齢化社会を迎えて、生活に困窮する老人も急増するでしょう。

 

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書)

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書)

 

 

日本は、個人の幸福よりも企業の経済活動が優先される国ですから、これまで国民はよく「調教」され、強く自己主張する人は少数派でした。

しかし、日本経済がじり貧となる中で、従来の「定番コース」からはじき飛ばされて、経済的にも精神的にも行き詰った人が激増すれば、自暴自棄になって自爆テロ的な犯罪にはしる人が出てきても不思議はありません。「敗者の反乱」です。

これは、社会全体の構造的な問題で、「セキュリティの強化」というような対策では追いつきません。

 

今回のような不幸な事件が、今後、増えるのではないかと危惧しています。

すみません、「令和」いらないんですけど・・・。

日付が変わって、もう昨日となってしまいましたが、5月1日は新しい元号の第1日目でした。

 

11時頃に起きて、テレビをつけてみたら各局「令和」一色。

天皇元号もいらないと思っている私としては興味がないので、「こんな時、テレ東だけは、いつもの通り、独自路線を貫いてくれるはず」と思っていたら、なんと特番を組んでいてガッカリでした。

 

テレビだけではなく、国をあげてのお祭騒ぎには、げんなりさせられます。

閉塞感が漂う中、新しい時代を迎えて状況を打開したいというのも分からなくはありませんが、少子高齢化や国際競争力の低下、財政赤字の拡大といった構造的な問題を解決しなければ、なにも変わりません。

この「祝賀ムード」も、アベノミクスのメッキが剥がれかけてあせっている政府の目くらまし作戦かもしれません。ごまかされないようにしましょうね。

 

元号が発表されたとき、私はインドに滞在中で、CNNなどのニュースを見ていたのですが、海外でも日本の改元への関心は意外と高いようで、何度も報道されていました。「令和」の「令」は、order または command を、「和」は peace を意味するという解説でした。

なんとなく「命令におとなしく従い、和を乱すな」と言われているようで、強行採決大好きな安倍政権らしい選択だなと思いました。

もっとも発案者(とされている人)によると、これは万葉集から取った言葉で、「令」は「うるわしい」という意味だそうですが、現代の感覚ではちょっと無理があるような気がします。

 

話は変わりますが、4月の28日、29日の2日間、代々木公園で開かれた「Rainbow Pride」に行ってきました。毎年恒例となっている性的マイノリティのイベントです。

まず、ものすごい人出でびっくり。パレードの参加者だけで1万人を超えたそうで、イケメンもたくさんいて、なかなか楽しかったです。

スポンサーとして出展している企業もたくさんありましたが、具体的にLGBT向けの商品、サービスをきちんと提案できているところは少なかったように思います。

社内での取り組みも、「一応、セミナーとかやってます」といった程度のものがほとんどで、残念な内容でした。

「令和の大騒ぎ」と同じで、とりあえずブームに乗っておこうといったところでしょうか。

 

自治体によってはパートナーシップ認定制度なども設けられ、ひと昔前と比べれば性的マイノリティに対する理解も深まったようにも見えますが、ヨーロッパの国々や台湾などで同性婚が合法化されているのに比べると、まだまだ遅れていると思います。

 最近、同性婚の実現に向けて提訴に踏み切った人たちもいるようですが、「伝統的なイエのあり方」にこだわり、夫婦別姓さえ認められないこの国で、彼らが勝訴する可能性はかなり低いでしょう。

 

こういった強固な保守性は、実は、皇室のあり方と同根のような気がしています。「伝統の呪縛にとらわれて個人としての幸福の追求が認められない」という点では、皇室の方々もとてもお気の毒だと思います。

 

政府は、口先では「ダイバーシティ」を唱えながら、実際には、文科省教科書検定で同性愛に関する解説を削除させるなど、時代に逆行するようなことを行っているのが実情です。

 

というわけで、「新時代」になっても、保守層に支えられた現政権が続く限り、LGBTに幸せは来ないと思う今日この頃です。

 

 

 

「平成の終わり」(笑)に思うこと

前回のブログから、ずいぶん間があいてしまいました。

実は、10月に高等遊民生活にピリオドを打ち、日本語教師として復帰したら、超多忙で貧乏暇なし状態に。いや~、忙しかった。

  

やっと冬休みに入って暇になったので、テレビでも見ようかなと思っても、なにかにつけて「平成最後の・・・」連発で、じつに鬱陶しい。

前回も元号の不合理について書いたけど、改元して何かが変わるかと言ったら、基本的に何も変わらないんですよね。ただ「代替わり」の皇室行事に莫大な税金が投入され、いろんな手間が増えるだけのこと。

 

そういえば「昭和の終わり」には何をしていただろうと思い出してみると、当時、同棲していたパートナーとタイのプーケットに長期滞在していたのでした。

昭和天皇が危篤で、皇居前に若い人達も大勢集まって治癒を祈っているという記事を現地紙で読み、ちょっと意外に感じたのを覚えています。天皇を崇拝しているのは比較的年齢が高い層で、若い人はそれほどではないだろうと思ったからです。

タイは、戦時中、日本軍の被害を受けなかった数少ないアジアの国の一つで、皇室同士の付き合いも深いので、報道も好意的だったけど、他の国では論調が違っていたかもしれません。

 

戦後、連合国やアジア諸国昭和天皇に対する見解は「当然、戦争責任あり」というものでしたが、GHQ司令官のマッカーサーは、天皇の求心力を日本の統治に利用するために、その責任を不問としてしまいました。

私自身は、「統帥権を持って軍の頂点に君臨していた以上、天皇に戦争責任はある」と考えています。特に、負けることがかなり早い時期に分かっていたにもかかわらず、終戦の決断をずるずると引き伸ばした罪は大きいと思います。

遅くても、東京大空襲沖縄戦があった1945年前半には勝敗が明らかで、その時点でもし降伏していれば、原爆投下は免れることが出来たわけです。

 

「旧体制の総括」をきちんとしなかったという点で、このマッカーサーの判断は間違いだったと言わざるを得ません。

いまだに教育現場などでトラブルが尽きない「君が代・日の丸問題」も、原点はここにあったのだと思います。

結果として天皇制は存続し、それとともに、日本社会のヒエラルキーも温存され、日本人の集団主義的な気質も受け継がれてしまった。軍国主義」が「資本主義」に置き換わっただけで、きわめて保守的かつ排他的なメンタリティは不変というわけです。

戦犯となった政府要人は、いつの間にか表舞台に舞い戻り、世襲によりその精神は今も受け継がれています。また、戦争を支えた財閥も、一旦解体されはしたものの、結局、息を吹き返しました。

もし、天皇制が廃止されていたら、社畜の一致団結に支えられた戦後の高度経済成長はなかったかもしれないけど、たぶん日本社会はここまでガラパゴス化しなかったし、近隣諸国との関係も良好になっていたかもしれませんね。

 

蛇足ですが、以前、国立の某大型児童館施設に勤めていた頃、定期的に皇族が来館しており、そのたびに皇宮警察が下見に来て、小言を言われるのにはげんなりさせられました。

とにかく、皇族の通り道に目障りなものがあってはいけないとのことで、たとえば、たまたま掃除中で壁にモップが立てかけてあっただけで、「そんなことで皇族をお迎え出来ると思っているのか!」と怒鳴られるわけです。たぶん、あの人達にとっては、天皇はいまだに神様で、その方にお仕えする自分達もすごく偉いと勘違いしちゃってるんですね、きっと。

 

よく地震や水害などの被災地を天皇が訪問すると、地元の人達がありがたがって元気が出るみたいなニュースがありますが、実際に受け入れる自治体の担当者にとっては、正直なところ「こんな時に勘弁してくれよ」って感じではないかと思います。

 

 まあ、なにはともあれ、来年は災害がない良い年になるといいですね。

 

元号がすごく不合理な件

先月、引っ越しをしたのですが、荷物の移動と同じくらい大変だったのが、その前後の諸手続きです。

賃貸契約や保証会社の契約にはじまり、免許証の住所変更、役所、銀行、証券会社、保険会社などなど・・・。

たぶん数十枚の書類に記入したと思います。

 

その時に、あらためて気になったのが、日にちの表記です。

役所関係は、ほぼ100%元号で記入するようになっていますが、民間企業はまちまちです。

「和暦」と「西暦」が選択できるフォームもあったし、同じ会社なのに、書類によって元号だったり西暦だったりすることもありました。

 

通常、私たちが使う時間の単位は、「秒」から始まって、「分」、「時間」、「日」、「月」、そして「年」です。単位というのは、基本的に世界共通で普遍的であるべきなのに、なぜか日本の元号だけは、天皇という1人の人間の死去、あるいは退位によって、ある日、突然変わってしまうという、おかしな現象が起こります。

 

君主が変わった時に改元する「一世一元の制」は、過去、東アジアの国々で見られましたが、いま、この制度を取っているのは、私が知る限り、日本だけです。

台湾にも元号はありますが、中華民国建国の1912年を起点にカウントして「民国○○年」としているので、元号が変わることはありません。

 

西暦も、もともとはキリスト教に基づく単位なので、それが普遍的といえるかと言えば、微妙なところですが、とりあえず、デファクトスタンダードとなっているのは、間違いありません。

 

「昭和の時代は、いろいろあったね~」みたいな文脈で、ノスタルジーに浸るぶんには、元号も悪くない気がしますが、「継続性がない」という点で時間の単位としては、やっぱり不便です。

 

例えば、役所関係は前述の通り元号固執しているので、「平成32年までに○○する」みたいな文書が山ほどあるはずですが、来年の改元が決まっているので、「平成32年」は永久に巡って来ないわけで、それ以降は全て新しい元号に読み替えなくてはいけません。

過去の話をする時も、「平成○○年は何年前?」と考えるよりも、西暦の方が計算がはるかに簡単ですよね。

 

それ以外にも、「海外で通用せず外国人には難解」、「ITにおける処理が面倒」など、あまりにもドメスティックで、「いまどき、それってどうよ」という感じです

グローバル化が進み、社内の共通語を英語にしているような企業では、さすがに西暦を使っていると思いますが、愛国心に燃える日本のお役人達にも、ぜひ一考していただきたいものです。

大坂報道に見るマスコミのご都合主義について

最近、ネット上でよく話題になるのが、テレビで「日本礼賛番組」がすごく増えているということ。

実際、「日本のここが素晴らしい」、「世界中がビックリする日本」みたいなテーマで盛り上げようという趣向の番組は多いですね。

美しい国 日本」をスローガンとする安倍政権への忖度ではないかと思うほどです。

 

日本人の技術者や職人さんが出てきて素晴らしいワザを披露したり、「快適な日本の生活を捨てて、海外の僻地でこんなに頑張っている日本人がいる」なんていうストーリーが紹介されると、とりあえず面白いし、私もついつい見てしまいます。

 

いわゆるネトウヨの方々も、こういった番組を見ながら、「うん、日本はやっぱりスゴイよね。それに比べてあの辺の国々は・・・」などと溜飲を下げているのでしょう。

 

だけど、当然ながら、「すごい人がいるからその国全体が素晴らしい」ということにはならないし、どこの国にもダメダメな人はいるものです。もちろん日本にもたくさんいます。(私もその一人かもしれませんが・・・)

 

ダメ人間がたくさんいたとしても、中国なんかは、優秀な人トップ10%を集めただけでも日本の全人口に匹敵するわけですし、逆に人口が少なく、国内市場が限られている韓国では、高等教育を受けたの若い人達の「グローバル志向」は日本の若者の比ではありません。

日本礼賛に酔っている間に、世界市場でこれらの国々に追い抜かされつつあるという事実は認識する必要があると思います。

 

また、なにをもって「素晴らしい」というのかも、一概には言えません。

戦後日本の経済成長は、確かに奇跡的ではありましたが、それは、多くの労働者が社畜化することで実現されたものとも言えますし、たとえば、数分の遅れも許されない鉄道運行は、鉄道関係者のとてつもないストレスによってもたらされているわけです。

 

潔癖すぎる国民性や、すぐ群れたがる集団心理と同調圧力は、国内市場が伸びている時にはプラス要因でしたが、結局、日本人をガラパゴス化させる一因となりました。

今は、そういう社会から距離を置きたいと感じている人達もたくさんいると思います。

 

報道番組やワイドショーでは、メインキャスターがいて、そのほかに、コメンテーターと称する人達が出てくるのが、よくあるパターンです。

コメンテーターには、元スポーツ選手などの著名人や、「知識人」(笑)などが招かれることが多いようですが、ほとんどの場合、取り上げられるニュースに関しては門外漢なので、中身のない感想を述べるだけで、「なるほど・・・」と思わせられるコメントは、めったに聞くことがありません。

 

そういった番組を見ていて、気になるのは、「私たち、日本人は・・・」というフレーズをよく聞くこと。

「日本には、日本語が分かる外国人もたくさん住んでいて、その人達も番組も見ているんだ」という視点の欠如と、「日本人なら共通の価値観と感覚を共有しているはず」という勘違いが、こういう発言をさせるんだと思いますが、それを受けて「日本人は単一民族ですから・・・」などという時代錯誤なことをのたまう「コメンテーター」がいるのもビックリです。

 

そんな彼らの基準からすれば、名前こそ日本名であっても「大坂なおみ」は、日本人ではないと思うのですが、全米オープンで優勝したとたんに、「素晴らしい日本人」として、一躍「日本礼賛」の主役になってしまいました。

 

なんと言っても、大坂選手は「最強のテニスプレイヤー」だし、キャラもかわいらしいし、素敵な女性だと思います。

だけど、もし彼女がテニスプレーヤーではなく、「普通の女の子」だったら、日本の社会に受け入れられていたでしょうか。

 

肌の色が違うし、日本語もほとんど話せない。多くの日本人がなぜか罪悪視する「二重国籍」であり、彼女の両親が結婚する時は、親族から猛反対されて勘当同然だったことなどは、「不都合な真実」として、マスコミではほとんど報道されません。

 

もし、一般人として彼女が日本に住んでいたら、たぶん、疎外感に悩まされ、居心地が良いとは言えなかったのではないかと思います。

 

父親の判断で、テニスプレーヤーとしては日本人であることを選び、一応、住民票も日本にあるそうですが、彼女のアイデンティティは、恐らく「ほぼアメリカ人」でしょう。

日本では、二重国籍は許されていないので、22歳までに国籍を選択することになりますが、社会の多様性や将来性、税制面などを考えると、大坂選手が米国籍を選ぶ可能性が高いのではないかと考えます。

 

普段は極めて排他的なのに、都合が良い時だけ異質なものを受け入れて盛り上げるというマスコミの「ご都合主義」は、日本社会の縮図でしょう。

今は、外国人労働者の受け入れなど、様々な課題が出てきている時代です。

マスコミの皆さんには、もっと物事をキチンと考えていただきたいと思います。

日本はどうして自殺者が多いのか

昨年、しばらくバンコクに滞在していた時のことです。

倦怠感がひどい日が続き、何をするのも億劫でなかなか動けなくなってしまいました。

バンコクは、世界中から落ちこぼれさん達が集まっているので、そのまま、自堕落な生活を送っていても、誰からも後ろ指さされることもなく、居心地は悪くないのですが、ビザの有効期限が迫ると、一旦、出国しなくてはいけません。

最近は、陸路でのビザランはチェックが厳しいそうなので、空路でミャンマーカンボジアに行き、数日滞在して、戻ってくるというパターンだったのですが、とにかく全身の力を振り絞って旅に出るという感じでした。

 

そんなわけで、一旦帰国したのですが、とにかく疲れるというのは、相変わらずです。

毎年、受けている区の検診では、異常がなかったので、もしかしたら、いま話題の「男性更年期障害」かとも思い、検査を受けてみたのですが、これも異常なしです。

暗い気持ちで過ごすことが多くなり、そのうちに、漠然と死にたいと考えている自分に気づいて、困惑しました。

高いビルに登ると飛び降りたくなるし、飛行機に乗ると「落ちたらいいな」と思ったり、やっぱり縊死が一番確実なのかな、などと考えたりもしました。

 

「これはもしかして鬱?」と思い、いつもお世話になっているN先生に相談することにしました。

新宿でメンタルクリニックを営んでいるN先生には、常用している睡眠薬の処方箋を書いてもらっていて、お付き合いは、もう4~5年になります。

同じ同性愛者同士ということもあり、なんでも気軽に相談できる間柄です。

睡眠薬の長期連用については、「依存性が生じて良くない」と言われていますが、なかなか断薬できません。今は、短時間型のマイスリーと長時間型のサイレースを適宜使い分けています。

 

相談の結果、「レクサプロ」という、比較的新しい抗鬱剤を服用してみることになりました。

実は、抗鬱剤を飲むのは、これが初めてではありません。16年ほど前に「パキシル」という薬を服用していたことがあります。

その時は、パニック発作をたびたび起こし、そわそわして部屋の中を歩きまわり、食欲もなくなり、極度の不眠に襲われて、このまま死んでしまうのではないかと思いました。

明らかにおかしいという病識はあったのですが、鬱病とは理解できず、最初は催眠療法に頼ったりして、時間を無駄にしてしまいました。

パキシル」の飲み始めには、喉の渇きや吐き気などの副作用がひどかったですが、「レクサプロ」の副作用はそれほどひどくないということだったので、服用を決めました。

 

「レクサプロ」も、最初は下痢などの副作用がありましたが、「パキシル」に比べれば、はるかにマシでした。

ただ、睡眠時間が短くなってしまったのは、不眠がちな私としては、ちょっとつらい感じです。この薬は、「眠くなる」という人が多いようですが、理論的には脳を覚醒させる作用があるということで、私も3~4時間で目が覚めるようになり、一時減薬していた睡眠薬も、また元の量に戻ってしまいました。

服用し始めて2ヶ月以上経ちますが、とりあえず希死念慮はなくなり、しなくてはいけない事はきちんと出来るようになり、倦怠感も以前ほどひどくなくなりました。

結果的には、薬を飲んで良かったと思います。前回、引越しについて書きましたが、服用なしでは転居に踏み切れなかったかもしれません。

 

以前からよく考えることのひとつに、「なぜ日本人の自殺率は高いのか」ということがあります。

 

2017年の自殺者は21,321人で10万人当たり約20人ですが、これは東欧諸国などと同レベルで、欧米の先進国と比べると突出して高い数字です。(アメリカ13.4人、イギリス7.5人、ドイツ12.6人)

 

理由のひとつとして考えられるのは、日本人の場合、組織への帰属意識同調圧力が極めて強く、失敗を許さない風土があるため、いわゆる「認知の歪み」(簡単に言うと、思い込みにより、物事を現実よりも悲観的にとらえてしまう状態)を生じやすく、自殺の危機に陥ってしまうのではないかということです。

 

もうひとつ、経済的な問題もあると思いますが、日本よりはるかに貧しいはずの途上国の自殺率が、なぜ低いのかも、考えてみる必要があります。

以前、フィリピンのスラム街を訪ねた時、住人達が思いのほか幸せそうだったのにビックリしました。もちろん、大変なことも多いでしょうが、「私たちは、それなりに楽しくやってますから」という雰囲気で、ちょっと羨ましく感じました。ちなみにフィリピンの自殺率は世界で162位だそうです。

 

日本では、貧困に対するセーフティネットが整備されているはずですが、それに頼ることを悪とする風潮もあり、必ずしもきちんと機能していないようです。(「貧困ビジネス」が介入するとスムーズにいくそうですが・・・)

これは、絶対貧困というよりは、「世間」における相対貧困の問題で、それが幸福度の低さに結びついているのではないかと思います。

 

また、最近、聞いた新しい説は、「日本人は遺伝的にセロトニンが不足しやすい」というものです。

セロトニンは脳内の神経伝達物質で、これが不足すると鬱病になると言われているものです。

「レクサプロ」や「パキシル」は、いずれもSSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれ、脳内のセロトニンを増やす作用があります。

この「遺伝的セロトニン不足説」については、「ほんとかなあ?」という感じですが、脳の働きはまだ分かっていないことも多いですから、あり得なくはないのかもしれません。

 

理由はいろいろあると思いますが、個人的には、日本の自殺者のうち、かなりの人が鬱状態にあるのではないかと考えています。

いまは、精神科も「心療内科」や「メンタルクリニック」を名乗るところが増えて、通いやすくなってきました。

「なんとなく、おかしいな」と思ったら、是非、相性がいいお医者さんを見つけて、相談して欲しいと思います。

プータローの引越し大作戦

来月、いま借りている部屋の更新がくるのですが、日当たりが悪いし、家賃は高いし、なんかちょっと飽きたということで、引っ越しをすることにしました。

 

ただ、問題なのは、私が現在、無職だということ。

傍流としては、「もう日本のブラックな社会では働けないわ」と思ってしまっているので、困ったものです。

 

本当は、海外に引っ越したかったんだけど、実はいま、抗鬱剤を服用していて、かかりつけの先生に「もうちょっと、待った方がよくない?」といわれたのでとりあえず近場の物件を探すことに。

 

 東南アジアなんかで「いま、働いてなくて、蓄え取り崩して生活してるんだよね」って言うと、だいたいの人の反応は「へぇー、いいなあ」というものですが、日本では「そんなことが許されると思ってるの!?」っていう感じですから、大変です。

 

新・金なし、コネなし、タイ暮らし! (ゼロからはじめる異国生活マニュアル)

新・金なし、コネなし、タイ暮らし! (ゼロからはじめる異国生活マニュアル)

 

  

サラリーマンだった頃の蓄えがまだあるし、雑収入もあるので、普段、あまり困ることはないのですが、新たに部屋を借りるとなると、不動産屋も大家も無職にはすごく冷たいです。せめて、転職先の内定だけでも取れていないと厳しい感じです。

 

URの賃貸の場合は、一定額以上の預貯金があって家賃を1年分前払いすればOKのようですが、条件に見合う物件を探してみても、多摩ニュータウンの山奥の老朽団地だったりして、家賃も安くはありません。

 

バンコクあたりだったら、パスポート見せるだけでアパートが借りられるのになあ」などと嘆きつつ、10軒近く電話や店舗で問い合わせをしたところ、ア〇マ〇ショップ某支店のがっついた営業さんが「無職OK」の物件を見つけてくれました。鬱っぽい私としては、上出来です。

 

ハイリスク専門の保証会社が味方になってくれるとのことで、弟に「緊急連絡先」になってもらい、あとは電話での審査のみです。その際、訊かれたのは、離職や引越しの理由、カードや家賃の支払い状況、資産残高などです。

「通帳などをみせてもらうことは出来ますか」と訊かれたけど、結局、見せることなくOKが出ました。

とりあえず、ある程度の預金残高があることと、「今は、ちょっと仕事をしていないけど、基本的に私は信頼できる人間です」とアピールするのがポイントかと思います。

どのくらいの預金残高があればOKなのかはわかりませんが、とりあえず見せ金を調達して、契約時に少しまとまった金額を提示できるようにすれば良いでしょう。

ちなみに、保証料は初回が家賃1か月分で、あとは1年につき1万円だから、すごく高いというわけでもありません。

 

新居は、東京の国立駅から徒歩約15分の8畳ワンルームで、家賃は管理費込みで47000円代で礼金なし。1人暮らしには十分です。

いま住んでいる中野のマンションの家賃が管理費込みで82000円ですから、大幅ダウンになります。

 

10代のころから、東京の西側で引越しを繰り返してきましたが、郊外の家賃相場は下がってきているように感じます。

中央線でいうと、吉祥寺当たりまでは、人気エリアが続き割高ですが、それより西に行くと、アパートの空室率が高く、買い手市場です。

無職の方や、ちょっと訳ありな方も、諦めずに頑張ってみてはいかがでしょうか。

 

ア〇マ〇ショップの営業さんは、よくやってくれましたが、初期費用の明細を見ると、変な消火剤とか、「消臭スプレー散布」みたいな、よく分からないオプションがいくつか含まれていたので、その分は却下。

火災保険もかなり保険料が高かったので、自分で安いところを見つけて契約しました。

しめて約6万円のコストカット。

ネットで口コミをみると、同社の店は、どこもだいたい、こういった「上乗せ」があるようなので、利用する方は要チェックです。

 

さて、部屋が決まって、次に頭を悩ませたのが、ネット回線をどうするかです。

家電量販店などで、複数の会社の人達に話を聞いたのですが、みんな決まって、「あとからキャンセルできるから、いますぐ工事の申し込みをしろ」と迫るのには、げんなりさせられました。

きっと、厳しいノルマで尻を叩かれているんでしょうが、いろいろ説明されても複雑怪奇で、とても即決なんか出来ません。

 

携帯とかでも、よくあるパターンですが、「初期費用がこれだけかかりますが、それを分割払いにして、その分を割引するので、実質タダです」みたいな話がいろいろと出てきます。

「それなら最初からタダにしてよ」と言いたいところですが、実はそこに「2年縛り」や「3年縛り」の罠が隠されているというわけです。

 

また、高額なキャッシュバックを売りにしている業者もありますが、それをもらうまでのハードルがすごく高いという噂もよく聞きます。

たとえば、忘れた頃にキャッシュバックのお知らせメールがくるので、スパム並みに送られてくるメールの中から、それを見落とさないようにするのは、至難の業といった話です。

 

こういうのって、消費者にはストレスになりますが、そういう仕掛けを考える方も大変ですよね。ほんとにご苦労様です。(私には絶対に出来ない・・・)

ダイヤルアップ接続していた牧歌的な時代が、ちょっと懐かしくなったりします。

 

結局、新居には、フレッツ光の回線が引いてあって、VDSLなら大げさな工事なしで使えるらしいということで、速度には目をつぶって、ドコモ光を申し込んだのですが、「実際にちゃんと使えるかどうかは、工事をしてみないと分からない」とのこと。

大丈夫かなあ・・・・。