傍流雑記帳

「本流」をはずれたら、気づいたことがたくさんあった。

日本の「一流企業」は、なぜ劣化していくのか

「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、2017年に起きた「積水ハウス地面師詐欺事件」は、その典型的な例だろう。

まことに興味深い事案で、関連書籍を何冊も読んだが、その中でも先月発行された「保身」(角川書店・藤岡雅著)は、積水ハウス関係者に徹底取材した力作だった。

詐欺に気づくチャンスが何度もあり、社内に不安の声があったにもかかわらず、不自然な稟議によって「社長案件」になってしまい、誰も異を唱えることができなくなってしまったというのが同事件のいきさつだが、その後の顛末は本書を読んで初めて知った。

当時の社長に重大な責任があったのは明らかであり、事件に直接関与していなかった会長により解任されそうになるのだが、取締会では逆に会長が解任されてしまう。表向きは辞任ということになっているが、実際にはクーデターである。

会長は賛同者を集めて株主総会で反撃を試みるが失敗に終わる。それ以降、社内では事件に触れることはタブーとなり、社長の責任は問われることがなかった。

事件に対する世間の風当たりは強く、営業の現場で士気が下がっていく様子も丹念に描かれている。

「おもしろさ」で、この事件は群を抜いているが、考えてみると企業にはびこる隠蔽体質という点では、オリンパス東芝の不正会計事件などにも通じるものを感じる。ほかにも「ヤバい案件」を隠している企業は山ほどあるだろう。

特に東芝は、プライドをかけて東証一部に返り咲いたのに、役員の保身のために、経産省に泣きついて、海外勢の株主提案を妨害したそうで、恥の上塗りである。

 

最近は、ESGなる言葉がはやっているが、これを本気で実践している会社はどのくらいあるだろうか。

私は株をやっているので、株主総会にもよく参加するが、終身雇用の大企業で出世競争に勝ち残って社長や役員になったような人たちに魅力を感じることはほとんどない。

話は原稿棒読みで、株主から有益な提案があっても「貴重なご意見ありがとうございます」的な誠意のない受け答えしかできないのである。

彼らにとっては、社会への貢献やガバナンスよりも社内政治や保身の方が重要で、心から訴えたいものなどないのだろう。

そういう点では、新興企業を率いる創業社長などの話の方がはるかに面白い(しばしば独善的だったりブラックだったりはするが・・・)

これまでの30年間、日本経済が低迷している一方、アメリカの経済は飛躍的に成長している。世界中から優秀な人材が集まってくるわけだから当然かもしれないが、ガバナンスに対する姿勢も大きな違いだと思う。

強欲に見えるアメリカの経営者だが、当局や株主のチェックは日本よりも厳しいし、プロ経営者として企業を渡り歩く人も多いので、長期にわたり組織的な不正を行うのは困難だろう。

日本の場合、「赤城ファイル問題」に見られるように、そもそも政府や役所も隠蔽体質にどっぷりつかっているので、国全体に自浄作用が働かないと言ってもいいかもしれない。

「コロナ後」は、これまでとは別世界になるだろうが、旧態依然とした風土が変わらないかぎり、日本経済はさらに衰退への道を辿るに違いないと思うのである。