傍流雑記帳

「本流」をはずれたら、気づいたことがたくさんあった。

「平成の終わり」(笑)に思うこと

前回のブログから、ずいぶん間があいてしまいました。

実は、10月に高等遊民生活にピリオドを打ち、日本語教師として復帰したら、超多忙で貧乏暇なし状態に。いや~、忙しかった。

  

やっと冬休みに入って暇になったので、テレビでも見ようかなと思っても、なにかにつけて「平成最後の・・・」連発で、じつに鬱陶しい。

前回も元号の不合理について書いたけど、改元して何かが変わるかと言ったら、基本的に何も変わらないんですよね。ただ「代替わり」の皇室行事に莫大な税金が投入され、いろんな手間が増えるだけのこと。

 

そういえば「昭和の終わり」には何をしていただろうと思い出してみると、当時、同棲していたパートナーとタイのプーケットに長期滞在していたのでした。

昭和天皇が危篤で、皇居前に若い人達も大勢集まって治癒を祈っているという記事を現地紙で読み、ちょっと意外に感じたのを覚えています。天皇を崇拝しているのは比較的年齢が高い層で、若い人はそれほどではないだろうと思ったからです。

タイは、戦時中、日本軍の被害を受けなかった数少ないアジアの国の一つで、皇室同士の付き合いも深いので、報道も好意的だったけど、他の国では論調が違っていたかもしれません。

 

戦後、連合国やアジア諸国昭和天皇に対する見解は「当然、戦争責任あり」というものでしたが、GHQ司令官のマッカーサーは、天皇の求心力を日本の統治に利用するために、その責任を不問としてしまいました。

私自身は、「統帥権を持って軍の頂点に君臨していた以上、天皇に戦争責任はある」と考えています。特に、負けることがかなり早い時期に分かっていたにもかかわらず、終戦の決断をずるずると引き伸ばした罪は大きいと思います。

遅くても、東京大空襲沖縄戦があった1945年前半には勝敗が明らかで、その時点でもし降伏していれば、原爆投下は免れることが出来たわけです。

 

「旧体制の総括」をきちんとしなかったという点で、このマッカーサーの判断は間違いだったと言わざるを得ません。

いまだに教育現場などでトラブルが尽きない「君が代・日の丸問題」も、原点はここにあったのだと思います。

結果として天皇制は存続し、それとともに、日本社会のヒエラルキーも温存され、日本人の集団主義的な気質も受け継がれてしまった。軍国主義」が「資本主義」に置き換わっただけで、きわめて保守的かつ排他的なメンタリティは不変というわけです。

戦犯となった政府要人は、いつの間にか表舞台に舞い戻り、世襲によりその精神は今も受け継がれています。また、戦争を支えた財閥も、一旦解体されはしたものの、結局、息を吹き返しました。

もし、天皇制が廃止されていたら、社畜の一致団結に支えられた戦後の高度経済成長はなかったかもしれないけど、たぶん日本社会はここまでガラパゴス化しなかったし、近隣諸国との関係も良好になっていたかもしれませんね。

 

蛇足ですが、以前、国立の某大型児童館施設に勤めていた頃、定期的に皇族が来館しており、そのたびに皇宮警察が下見に来て、小言を言われるのにはげんなりさせられました。

とにかく、皇族の通り道に目障りなものがあってはいけないとのことで、たとえば、たまたま掃除中で壁にモップが立てかけてあっただけで、「そんなことで皇族をお迎え出来ると思っているのか!」と怒鳴られるわけです。たぶん、あの人達にとっては、天皇はいまだに神様で、その方にお仕えする自分達もすごく偉いと勘違いしちゃってるんですね、きっと。

 

よく地震や水害などの被災地を天皇が訪問すると、地元の人達がありがたがって元気が出るみたいなニュースがありますが、実際に受け入れる自治体の担当者にとっては、正直なところ「こんな時に勘弁してくれよ」って感じではないかと思います。

 

 まあ、なにはともあれ、来年は災害がない良い年になるといいですね。