傍流雑記帳

「本流」をはずれたら、気づいたことがたくさんあった。

日本はどうして自殺者が多いのか

昨年、しばらくバンコクに滞在していた時のことです。

倦怠感がひどい日が続き、何をするのも億劫でなかなか動けなくなってしまいました。

バンコクは、世界中から落ちこぼれさん達が集まっているので、そのまま、自堕落な生活を送っていても、誰からも後ろ指さされることもなく、居心地は悪くないのですが、ビザの有効期限が迫ると、一旦、出国しなくてはいけません。

最近は、陸路でのビザランはチェックが厳しいそうなので、空路でミャンマーカンボジアに行き、数日滞在して、戻ってくるというパターンだったのですが、とにかく全身の力を振り絞って旅に出るという感じでした。

 

そんなわけで、一旦帰国したのですが、とにかく疲れるというのは、相変わらずです。

毎年、受けている区の検診では、異常がなかったので、もしかしたら、いま話題の「男性更年期障害」かとも思い、検査を受けてみたのですが、これも異常なしです。

暗い気持ちで過ごすことが多くなり、そのうちに、漠然と死にたいと考えている自分に気づいて、困惑しました。

高いビルに登ると飛び降りたくなるし、飛行機に乗ると「落ちたらいいな」と思ったり、やっぱり縊死が一番確実なのかな、などと考えたりもしました。

 

「これはもしかして鬱?」と思い、いつもお世話になっているN先生に相談することにしました。

新宿でメンタルクリニックを営んでいるN先生には、常用している睡眠薬の処方箋を書いてもらっていて、お付き合いは、もう4~5年になります。

同じ同性愛者同士ということもあり、なんでも気軽に相談できる間柄です。

睡眠薬の長期連用については、「依存性が生じて良くない」と言われていますが、なかなか断薬できません。今は、短時間型のマイスリーと長時間型のサイレースを適宜使い分けています。

 

相談の結果、「レクサプロ」という、比較的新しい抗鬱剤を服用してみることになりました。

実は、抗鬱剤を飲むのは、これが初めてではありません。16年ほど前に「パキシル」という薬を服用していたことがあります。

その時は、パニック発作をたびたび起こし、そわそわして部屋の中を歩きまわり、食欲もなくなり、極度の不眠に襲われて、このまま死んでしまうのではないかと思いました。

明らかにおかしいという病識はあったのですが、鬱病とは理解できず、最初は催眠療法に頼ったりして、時間を無駄にしてしまいました。

パキシル」の飲み始めには、喉の渇きや吐き気などの副作用がひどかったですが、「レクサプロ」の副作用はそれほどひどくないということだったので、服用を決めました。

 

「レクサプロ」も、最初は下痢などの副作用がありましたが、「パキシル」に比べれば、はるかにマシでした。

ただ、睡眠時間が短くなってしまったのは、不眠がちな私としては、ちょっとつらい感じです。この薬は、「眠くなる」という人が多いようですが、理論的には脳を覚醒させる作用があるということで、私も3~4時間で目が覚めるようになり、一時減薬していた睡眠薬も、また元の量に戻ってしまいました。

服用し始めて2ヶ月以上経ちますが、とりあえず希死念慮はなくなり、しなくてはいけない事はきちんと出来るようになり、倦怠感も以前ほどひどくなくなりました。

結果的には、薬を飲んで良かったと思います。前回、引越しについて書きましたが、服用なしでは転居に踏み切れなかったかもしれません。

 

以前からよく考えることのひとつに、「なぜ日本人の自殺率は高いのか」ということがあります。

 

2017年の自殺者は21,321人で10万人当たり約20人ですが、これは東欧諸国などと同レベルで、欧米の先進国と比べると突出して高い数字です。(アメリカ13.4人、イギリス7.5人、ドイツ12.6人)

 

理由のひとつとして考えられるのは、日本人の場合、組織への帰属意識同調圧力が極めて強く、失敗を許さない風土があるため、いわゆる「認知の歪み」(簡単に言うと、思い込みにより、物事を現実よりも悲観的にとらえてしまう状態)を生じやすく、自殺の危機に陥ってしまうのではないかということです。

 

もうひとつ、経済的な問題もあると思いますが、日本よりはるかに貧しいはずの途上国の自殺率が、なぜ低いのかも、考えてみる必要があります。

以前、フィリピンのスラム街を訪ねた時、住人達が思いのほか幸せそうだったのにビックリしました。もちろん、大変なことも多いでしょうが、「私たちは、それなりに楽しくやってますから」という雰囲気で、ちょっと羨ましく感じました。ちなみにフィリピンの自殺率は世界で162位だそうです。

 

日本では、貧困に対するセーフティネットが整備されているはずですが、それに頼ることを悪とする風潮もあり、必ずしもきちんと機能していないようです。(「貧困ビジネス」が介入するとスムーズにいくそうですが・・・)

これは、絶対貧困というよりは、「世間」における相対貧困の問題で、それが幸福度の低さに結びついているのではないかと思います。

 

また、最近、聞いた新しい説は、「日本人は遺伝的にセロトニンが不足しやすい」というものです。

セロトニンは脳内の神経伝達物質で、これが不足すると鬱病になると言われているものです。

「レクサプロ」や「パキシル」は、いずれもSSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれ、脳内のセロトニンを増やす作用があります。

この「遺伝的セロトニン不足説」については、「ほんとかなあ?」という感じですが、脳の働きはまだ分かっていないことも多いですから、あり得なくはないのかもしれません。

 

理由はいろいろあると思いますが、個人的には、日本の自殺者のうち、かなりの人が鬱状態にあるのではないかと考えています。

いまは、精神科も「心療内科」や「メンタルクリニック」を名乗るところが増えて、通いやすくなってきました。

「なんとなく、おかしいな」と思ったら、是非、相性がいいお医者さんを見つけて、相談して欲しいと思います。

プータローの引越し大作戦

来月、いま借りている部屋の更新がくるのですが、日当たりが悪いし、家賃は高いし、なんかちょっと飽きたということで、引っ越しをすることにしました。

 

ただ、問題なのは、私が現在、無職だということ。

傍流としては、「もう日本のブラックな社会では働けないわ」と思ってしまっているので、困ったものです。

 

本当は、海外に引っ越したかったんだけど、実はいま、抗鬱剤を服用していて、かかりつけの先生に「もうちょっと、待った方がよくない?」といわれたのでとりあえず近場の物件を探すことに。

 

 東南アジアなんかで「いま、働いてなくて、蓄え取り崩して生活してるんだよね」って言うと、だいたいの人の反応は「へぇー、いいなあ」というものですが、日本では「そんなことが許されると思ってるの!?」っていう感じですから、大変です。

 

新・金なし、コネなし、タイ暮らし! (ゼロからはじめる異国生活マニュアル)

新・金なし、コネなし、タイ暮らし! (ゼロからはじめる異国生活マニュアル)

 

  

サラリーマンだった頃の蓄えがまだあるし、雑収入もあるので、普段、あまり困ることはないのですが、新たに部屋を借りるとなると、不動産屋も大家も無職にはすごく冷たいです。せめて、転職先の内定だけでも取れていないと厳しい感じです。

 

URの賃貸の場合は、一定額以上の預貯金があって家賃を1年分前払いすればOKのようですが、条件に見合う物件を探してみても、多摩ニュータウンの山奥の老朽団地だったりして、家賃も安くはありません。

 

バンコクあたりだったら、パスポート見せるだけでアパートが借りられるのになあ」などと嘆きつつ、10軒近く電話や店舗で問い合わせをしたところ、ア〇マ〇ショップ某支店のがっついた営業さんが「無職OK」の物件を見つけてくれました。鬱っぽい私としては、上出来です。

 

ハイリスク専門の保証会社が味方になってくれるとのことで、弟に「緊急連絡先」になってもらい、あとは電話での審査のみです。その際、訊かれたのは、離職や引越しの理由、カードや家賃の支払い状況、資産残高などです。

「通帳などをみせてもらうことは出来ますか」と訊かれたけど、結局、見せることなくOKが出ました。

とりあえず、ある程度の預金残高があることと、「今は、ちょっと仕事をしていないけど、基本的に私は信頼できる人間です」とアピールするのがポイントかと思います。

どのくらいの預金残高があればOKなのかはわかりませんが、とりあえず見せ金を調達して、契約時に少しまとまった金額を提示できるようにすれば良いでしょう。

ちなみに、保証料は初回が家賃1か月分で、あとは1年につき1万円だから、すごく高いというわけでもありません。

 

新居は、東京の国立駅から徒歩約15分の8畳ワンルームで、家賃は管理費込みで47000円代で礼金なし。1人暮らしには十分です。

いま住んでいる中野のマンションの家賃が管理費込みで82000円ですから、大幅ダウンになります。

 

10代のころから、東京の西側で引越しを繰り返してきましたが、郊外の家賃相場は下がってきているように感じます。

中央線でいうと、吉祥寺当たりまでは、人気エリアが続き割高ですが、それより西に行くと、アパートの空室率が高く、買い手市場です。

無職の方や、ちょっと訳ありな方も、諦めずに頑張ってみてはいかがでしょうか。

 

ア〇マ〇ショップの営業さんは、よくやってくれましたが、初期費用の明細を見ると、変な消火剤とか、「消臭スプレー散布」みたいな、よく分からないオプションがいくつか含まれていたので、その分は却下。

火災保険もかなり保険料が高かったので、自分で安いところを見つけて契約しました。

しめて約6万円のコストカット。

ネットで口コミをみると、同社の店は、どこもだいたい、こういった「上乗せ」があるようなので、利用する方は要チェックです。

 

さて、部屋が決まって、次に頭を悩ませたのが、ネット回線をどうするかです。

家電量販店などで、複数の会社の人達に話を聞いたのですが、みんな決まって、「あとからキャンセルできるから、いますぐ工事の申し込みをしろ」と迫るのには、げんなりさせられました。

きっと、厳しいノルマで尻を叩かれているんでしょうが、いろいろ説明されても複雑怪奇で、とても即決なんか出来ません。

 

携帯とかでも、よくあるパターンですが、「初期費用がこれだけかかりますが、それを分割払いにして、その分を割引するので、実質タダです」みたいな話がいろいろと出てきます。

「それなら最初からタダにしてよ」と言いたいところですが、実はそこに「2年縛り」や「3年縛り」の罠が隠されているというわけです。

 

また、高額なキャッシュバックを売りにしている業者もありますが、それをもらうまでのハードルがすごく高いという噂もよく聞きます。

たとえば、忘れた頃にキャッシュバックのお知らせメールがくるので、スパム並みに送られてくるメールの中から、それを見落とさないようにするのは、至難の業といった話です。

 

こういうのって、消費者にはストレスになりますが、そういう仕掛けを考える方も大変ですよね。ほんとにご苦労様です。(私には絶対に出来ない・・・)

ダイヤルアップ接続していた牧歌的な時代が、ちょっと懐かしくなったりします。

 

結局、新居には、フレッツ光の回線が引いてあって、VDSLなら大げさな工事なしで使えるらしいということで、速度には目をつぶって、ドコモ光を申し込んだのですが、「実際にちゃんと使えるかどうかは、工事をしてみないと分からない」とのこと。

大丈夫かなあ・・・・。

もっと楽しい葬式を!

前回は、父が亡くなった時のことを書きましたが、今日は葬式について。

 

最近は、親族の葬儀に参列することも多くなってきましたが、どの葬式も、読経と焼香をして・・・、と形式的なことばかりで、個人を偲ぶようなものが何もないな、と感じていました。

だから、父を見送る時は、もっと心がこもった葬式を出したいと思いました。

 

そもそも、お坊さんって、呼ばなきゃいけないんでしょうか。

普段から信心していて檀家になっているような人は、お寺に声をかけないと後から思わぬトラブルになったりするようですが、そうでない人の場合は必ずしも必要ないような気がします。

戒名をつけてもらうのも、すごくお金がかかり、その金額によってランクがあるそうです。死後も経済力で格付けされるのって、どうもしっくりきません。

 

そんなわけで、父の葬儀は、無宗教のお別れ会という形にしました。

享年90歳ともなれば「長い間、お疲れさまでした」という感じで、葬儀は、いわば人生の卒業式とも言えるようなものではないかと思います。

年齢的に、友人や仕事関係の参列者は、ほとんどいないでしょうし、来るのは限られた身内だけということで、たくさんの写真や思い出の品々、そして動画で故人を偲ぶようにしました。

 

 

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 正面左側に遺影と写真、中央に棺、その右側には動画(若い頃から晩年までの写真を音楽入りでスライドショーにしたもの)再生用のモニター、その手前には、仕事を愛した父のデスクを再現しました。

読経などがない代わりに、これらの品々を見ながら、みんなで故人を偲ぶ時間を設けましたが、みなさん、本当に懐かしがってくれました。。

 

今回、葬儀を依頼したのは、某IT企業系の新興葬儀社で、費用は約100万円でした。

こちらの意向を汲んで、頑張ってくれたと思います。

 

病院で亡くなった場合、なにも決めていないと、その病院が斡旋する業者に頼むことになりがちです。そういった業者が一概にダメとは言えませんが、彼らにとっての「営業努力」は、お客ではなく病院に対してなされるので、遺族の意向に沿った葬儀に対応してもらえるかどうか、分かりません。

 

最近は、大手流通業者なども、格安プランを売りにして葬儀業界に参入しているようですが、基本的に零細な契約業者に丸投げするだけなので、当たりはずれがあるようです。 様々なカスタマイズをお願いするのは、難しいかもしれません。

 

いつ終わりを迎えるか分からないのが人生ですが、その時になって慌てないように、生前に複数の業者と相談して相見積もりを取っておくことをお勧めします。

これからは、高齢多死社会になりますが、形式にとらわれない「楽しいお葬式」がもっと増えればいいなと思います。

「人生100年」は幸せか?

 

父を90歳で見送ってから、もうすぐ5か月になります。

16年前に脳梗塞による認知症を発症し、長い間、老人ホームでお世話になっていたのですが、昨年から入退院を繰り返すようになりました。

 

最期に入院した時は、心筋梗塞で危篤状態だったので、救急隊の方に「延命処置はどうしますか」と尋ねられました。

私は、それまで父が苦しむ様子を何回も見ていたので、「もう無理をしないでいいです」と答えたのですが、病院での点滴と酸素吸入により、なんとか命を取り留めました。

 

食事はもう出来ないので、水分の補給だけで、その後、約3か月生きたのですが、当然、どんどん痩せていき、最後は即身仏のようになってしまいました。

眠っていることがほとんどで、たまに目を覚ますこともあるのですが、認知症患者の場合、点滴のチューブをはずしたり、勝手に動いたりしないように、手にはミトンをはめられて、胴体はベルトでベットに固定されてしまうので、全く身動きが取れません。

 

病院には、父と同じように、点滴と酸素マスクでかろうじて生きてはいるものの、恐らく、もう二度と復活することはないであろうお年寄り達がたくさんいて、その数には圧倒されます。

 

そんな様子を見ていると、患者のQOL(生活の質)を全く考慮せずに「とりあえず延命」という医療のあり方に疑問を感じざるを得ませんでした。

正直なところ、私だったら、こんなになる前に終わりにしたいと思いました。

 

現状では、一度、延命治療を始めてしまうと、それを途中でやめるという選択は許されません。しかし、本人や家族の意向であれば、安楽死というオプションもあってもよいのではないかと思います。

ちなみに、オランダは、そういった面での先進国として有名ですが、死因の3~4%が安楽死だそうです。

 

医療機関にしてみれば、寝たきりのお年寄りは、いわば「ドル箱」になるのでしょうが、このまま高齢化が進み、医療制度が破たんしてしまっては、元も子もありません。

歳をとっても、元気で楽しく暮らせれば、100歳でも150歳でも、長生き万歳といったところですが、残念ながら、そうではなくなってしまった時、一人ひとりが尊厳ある最期を迎えられるような法整備を強く望みたいと思います。

 

 

 

 

LGBTとして言いたいこと

 杉田某という女性議員が「LGBTに対して差別的な寄稿をした」と、ちょっとした騒ぎになっているそうですね。

「子供がいない=生産性が低い」という論理は理解不能ですが、個人的な感想を言わせていただけば、自民党の議員って、「人としてどうよ?」って方、多いような気がします。なんとなく、以前、騒ぎになった「このハゲ」パワハラ発言の女性議員を思い出しました。

 

ダイバーシティ」を標榜する安倍首相が火消しに躍起になっていますが、本心ではどう思っているのでしょう。彼が言うところの「美しい国、日本」で、LGBTはどのような位置づけになっているのか、気になります。

 

ビジネスにおける生産性という点では、LGBTの中にも当然、優秀な人はたくさんいます。この国では、女性の平均賃金は、男性に比べてまだ低い水準にありますから、レズビアンカップルは苦戦している方々もいるかと思いますが、共働きで目いっぱい稼いでいるゲイカップルは究極のDINKS(死語?)で、市場としてはすごく有望です。

 

そういえば、以前、LGBTのイベントに参加した際(申し遅れましたが、私も当事者です)、M銀行とかN証券などの一流(笑)企業が協賛していたので、ちょっとビックリしました。

企業としては、「流れに乗り遅れるな」ということで、「LGBTフレンドリー」をアピールしたいところでしょうが、実情はかなりガッカリなものではないかと思います。

 一応、社内で同性カップルを配偶者と同等に認めるなど、それらしきことは実施しているようですが、周りが出世争いで足の引っ張り合いをしている保守的な組織の中では、カミングアウトするのも、かなりハードルが高いでしょう。

 

ちなみに、LGBT市場が注目されるようになったのは2010年頃からで、2015年に某大手広告代理店が、「LGBTのマーケットは6兆円規模」とぶち上げたのが一つの節目と言われていますが、その数字は商売がらみのものですから、妥当なものかどうかは微妙だと思います。

  

私が住んでいる中野区でも、同性パートナーシップの制度が出来て、同性カップルには福音ですが、その一方で性的マイノリティーを毛嫌いする人もたくさんいます。

そういう人達の理解を得られないと、本当の多様性社会は実現できないのですが、性に関する問題は人間の本能に直結しているので、なかなか難しいものがあります。

食べ物の好みと同じで、「魚より肉が好き」という人が「それはおかしいから魚を好きになれ」と言われても困る、という感じです。

私の弟もいわゆる「ホモフォビア」なので、最近はすっかり疎遠になっていましました。

 

日本でブームになっている「LGBTフレンドリー」ですが、それは、おそらくビジネス上の損得など表面的なものにすぎず、残念ながら、今後、性的マイノリティーへの理解が劇的に深まったり、国レベルで法整備が進むことはないと思います。

 

同性愛に比較的寛容なタイでは、同性カップルが街中で手をつないで歩いたり、ホテルでダブルルームに宿泊したりするのは、よく見かける光景ですし、台湾では、もうすぐ同性婚が可能になるようです。

一方、日本の場合、同性カップルがイチャイチャできるのは「新宿2丁目特区」だけですし、旧来のイエ制度をなにがなんでも守り抜くという勢力が強いので、同性婚はまず実現しないでしょう。

 

すっかり日本社会の本流から外れてしまった私ですが、実は、将来、台湾のイケメンと同性婚をして永住権ゲットという夢を持っています。実現できるといいなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

死刑って、どう思いますか?

オウム真理教の幹部7人に対する死刑が、一斉に執行されました。

日本は死刑制度に賛成する人が約8割だそうですから、あれだけの事件を起こした首謀者たちが死刑になるのは、国民感情からして当然だと思います。

 

一方、死刑制度がない他の先進国では「これではジェノサイド(虐殺)ではないか」と報道しているメディアも多いようです。

私自身は、死刑制度に反対です。

 

理由の1つ目としては、刑罰とは言え、「人が人を殺す」ということに抵抗があるからです。

以前「休暇」という映画を観たことがあります。拘置所で、死刑執行の「支え役」をする刑務官には1週間の休暇を与えるという提案が幹部からあり、子持ちの彼女との結婚を考えている主人公の刑務官が、休暇を使ってその子供との交流を深めるため、迷った末に志願するというストーリーです。(主演が小林薫さんでなかなか良い映画でした)

そんな映画を観ると、刑を執行する人達のストレスも大変なものなのだろうと思います。

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その一方で、特殊な状況下では、そのような感情が全くなくなってしまうこともあるようです。

昨年、カンボジアのチェンスクにあるキリングフィールドを見に行ってきました。1970年代のポル・ポト政権下で多くの人達が処刑された場所です。

ほとんどの囚人は、プノンペン市街のS21収容所(今はトゥール・スレン虐殺犯罪博物館として見学できます)での拷問により罪状をでっち上げられたのち、ここに運ばれてきたわけですが、まったくためらうことなく多くの人々がいとも簡単に殺された跡が生々しく残っていて、とても恐ろしかったです。

もちろん、これはまともな法律が機能しない社会でのことですから、現在の日本と比較することは出来ませんが、「権力によってもたらされる死」という点は共通しています。 

 

  

2つ目の理由は、「間違いのない人間はいない」ということです。

日本では、一旦、起訴されると有罪となる可能性が極めて高いです。しかし、取り調べの可視化などはまだ十分ではなく、恣意的な捜査・取り調べが行われているケースも多々あると思います。

ついこの前も「袴田事件」が話題になりましたが、裁判官が間違った判決を下す可能性も常にあります。

そして、冤罪事件としていくら新証拠が出てきても再審が認められる可能性は非常に低いです。これは「裁判官が先輩の判決を覆すと自分が左遷されてしまうから」というのも一因となっているそうです。そんなしがらみで、殺されてしまってはたまったものではありません。

 

3つ目の理由は、死刑にもはや犯罪抑止効果がないのではないか、という点です。

たとえば、2001年の附属池田小事件や2008年の秋葉原通り魔事件などは、犯人が事前に死刑になることを想定していたと考えられ、むしろ世間を道連れに自死したいという感情を持っていたのではないかと思います。そうなると、皮肉なことに死刑が凶悪犯罪の動機になってしまったことになります。

横浜の病院での連続殺人で先日逮捕された元看護師も「死をもって償います」と淡々と語っているそうです。

 

日本では、加害者への処罰感情が強く、社会的制裁はその家族にまで及びます。

アメリカなどでは加害者家族をケアする制度もあるそうですが、日本では考えられません。個人を独立した人格と見るか、「イエ社会」の一員とみるかの違いでしょう。

 

私はフェイスブックで、ベトナム・日本の交流グループのメンバーになっているのですが、「リンちゃん殺害事件」の犯人への無期懲役の判決が話題になった時は大荒れでした。

ベトナム人の投稿は比較的冷静なものが多かったのに対し、日本人の投稿は「なぜ死刑にしないのか」と怒り心頭で訴えるものが多数派で、「法治国家なんて糞くらえ」みたいな感情的な書き込みが相次いだのには、げんなりさせられました。

そういう人達は、前述のポル・ポト時代のカンボジアのように、「法の及ばない社会」がどれだけ恐ろしいものか、考えたこともないのでしょう。

 

そんなわけで、やっぱり自分は少数派だなあ、と実感した出来事でした。

「非国民」ですが、なにか?

サッカーファンのみなさん、連日のワールドカップ観戦、お疲れさまです。

 

残念なことに、スポーツ音痴の私は、サッカーに全然興味がありません。

ルールもよく分からないので、ボールを蹴るだけのゲームに、なんでみんながあんなに熱狂できるのか、理解し難いというのが、正直な気持ちです。テレビもサッカーネタばかりで、つまらないし····。

不思議なのが、ふだん、あまりサッカーに興味がなさそうな人達も異様なハイテンションになっていることです。渋谷のスクランブル交差点で騒いだり、大阪の道頓堀川に飛び込むのが楽しみで、便乗しているのかな。

 

ところで、すごくびっくりしたのが、私のように「ワールドカップとか興味ないし、別に日本も応援しません」という人は、巷で「非国民」と言われているらしい、ということです。へぇ~、そうなんだ、という感じです。

 

そういえば、数年前にも、同じようなことがありました。東京オリンピック誘致のときです。

オリンピックを自分たちの街で見てみたい、とか、この機会にひと儲けできるぞ、という人達の気持ちも分からなくはないですが、「そんなこと、やってる場合ですか?」と思ったので、私は誘致に反対で、やっぱり「非国民」でした。

 

前回の東京オリンピック(1964年)の頃は、日本経済が急成長している時代で、不足していたインフラも、オリンピックをきっかけに劇的に整備されました。

首都高や新幹線、都内に整備された大通りやスポーツ施設などが、その後の東京、そして日本の発展に大きく寄与し、オリンピックが経済成長を加速したと言えます。

 

だけど、今の日本はどうでしょうか? 

一般的にオリンピックは需要の先食い的なところがあるので、どこの開催国でもオリンピック後は景気が落ち込む傾向があります。

成長余力があれば、再び回復基調となりますが、2020年以降の日本は、高齢化と人口減、財政悪化がさらに深刻化し、グローバル化にも乗り遅れ、長期的な不況となる可能性が高いでしょう。

また、1960年代初頭に大急ぎで作った大量のインフラの老朽化に伴い、その改修コストも重くのしかかります。

そんな状況の中で、「オリンピック、キタ~!」と言って、今から新たなスポーツ施設を整備しても、そのあと、お年寄りばかりの世の中でいったい誰がそれを使うんでしょう?

 

 私が住む東京中野区に平和の森公園というのがあります。

テレビなどでも紹介されたので、知っている人も多いと思いますが、ここでも、近隣住民の反対を押し切って中途半端なスポーツ施設を作る工事が進んでいます。オリンピックを盛り上げようということで、補助金も出るらしいです。(財源はもちろん税金ですよね)

工事を強行した当時の区長は先日の区長選で落選しましたが、公園で工事のために切り倒された数千本の木々は二度と戻ることはありません。

 

私はもともと、国や組織に対する帰属意識が弱く、「たまたま日本に生まれたけど、将来、ほかの国に住むのもおもしろいかなあ」なんて考えている人なので、「非国民」とか言われても全然平気です。

だけど、掛け声がかかると全員同じ方向を向かなきゃいけなくて、異端は認めないって、なんかイヤな社会だなって思います。

日本人のメンタリティって、もしかしたら戦前の軍国主義の時代から、あまり変わっていないのかもしれませんね。