傍流雑記帳

「本流」をはずれたら、気づいたことがたくさんあった。

「人生100年」は幸せか?

 

父を90歳で見送ってから、もうすぐ5か月になります。

16年前に脳梗塞による認知症を発症し、長い間、老人ホームでお世話になっていたのですが、昨年から入退院を繰り返すようになりました。

 

最期に入院した時は、心筋梗塞で危篤状態だったので、救急隊の方に「延命処置はどうしますか」と尋ねられました。

私は、それまで父が苦しむ様子を何回も見ていたので、「もう無理をしないでいいです」と答えたのですが、病院での点滴と酸素吸入により、なんとか命を取り留めました。

 

食事はもう出来ないので、水分の補給だけで、その後、約3か月生きたのですが、当然、どんどん痩せていき、最後は即身仏のようになってしまいました。

眠っていることがほとんどで、たまに目を覚ますこともあるのですが、認知症患者の場合、点滴のチューブをはずしたり、勝手に動いたりしないように、手にはミトンをはめられて、胴体はベルトでベットに固定されてしまうので、全く身動きが取れません。

 

病院には、父と同じように、点滴と酸素マスクでかろうじて生きてはいるものの、恐らく、もう二度と復活することはないであろうお年寄り達がたくさんいて、その数には圧倒されます。

 

そんな様子を見ていると、患者のQOL(生活の質)を全く考慮せずに「とりあえず延命」という医療のあり方に疑問を感じざるを得ませんでした。

正直なところ、私だったら、こんなになる前に終わりにしたいと思いました。

 

現状では、一度、延命治療を始めてしまうと、それを途中でやめるという選択は許されません。しかし、本人や家族の意向であれば、安楽死というオプションもあってもよいのではないかと思います。

ちなみに、オランダは、そういった面での先進国として有名ですが、死因の3~4%が安楽死だそうです。

 

医療機関にしてみれば、寝たきりのお年寄りは、いわば「ドル箱」になるのでしょうが、このまま高齢化が進み、医療制度が破たんしてしまっては、元も子もありません。

歳をとっても、元気で楽しく暮らせれば、100歳でも150歳でも、長生き万歳といったところですが、残念ながら、そうではなくなってしまった時、一人ひとりが尊厳ある最期を迎えられるような法整備を強く望みたいと思います。