傍流雑記帳

「本流」をはずれたら、気づいたことがたくさんあった。

もっと楽しい葬式を!

前回は、父が亡くなった時のことを書きましたが、今日は葬式について。

 

最近は、親族の葬儀に参列することも多くなってきましたが、どの葬式も、読経と焼香をして・・・、と形式的なことばかりで、個人を偲ぶようなものが何もないな、と感じていました。

だから、父を見送る時は、もっと心がこもった葬式を出したいと思いました。

 

そもそも、お坊さんって、呼ばなきゃいけないんでしょうか。

普段から信心していて檀家になっているような人は、お寺に声をかけないと後から思わぬトラブルになったりするようですが、そうでない人の場合は必ずしも必要ないような気がします。

戒名をつけてもらうのも、すごくお金がかかり、その金額によってランクがあるそうです。死後も経済力で格付けされるのって、どうもしっくりきません。

 

そんなわけで、父の葬儀は、無宗教のお別れ会という形にしました。

享年90歳ともなれば「長い間、お疲れさまでした」という感じで、葬儀は、いわば人生の卒業式とも言えるようなものではないかと思います。

年齢的に、友人や仕事関係の参列者は、ほとんどいないでしょうし、来るのは限られた身内だけということで、たくさんの写真や思い出の品々、そして動画で故人を偲ぶようにしました。

 

 

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 正面左側に遺影と写真、中央に棺、その右側には動画(若い頃から晩年までの写真を音楽入りでスライドショーにしたもの)再生用のモニター、その手前には、仕事を愛した父のデスクを再現しました。

読経などがない代わりに、これらの品々を見ながら、みんなで故人を偲ぶ時間を設けましたが、みなさん、本当に懐かしがってくれました。。

 

今回、葬儀を依頼したのは、某IT企業系の新興葬儀社で、費用は約100万円でした。

こちらの意向を汲んで、頑張ってくれたと思います。

 

病院で亡くなった場合、なにも決めていないと、その病院が斡旋する業者に頼むことになりがちです。そういった業者が一概にダメとは言えませんが、彼らにとっての「営業努力」は、お客ではなく病院に対してなされるので、遺族の意向に沿った葬儀に対応してもらえるかどうか、分かりません。

 

最近は、大手流通業者なども、格安プランを売りにして葬儀業界に参入しているようですが、基本的に零細な契約業者に丸投げするだけなので、当たりはずれがあるようです。 様々なカスタマイズをお願いするのは、難しいかもしれません。

 

いつ終わりを迎えるか分からないのが人生ですが、その時になって慌てないように、生前に複数の業者と相談して相見積もりを取っておくことをお勧めします。

これからは、高齢多死社会になりますが、形式にとらわれない「楽しいお葬式」がもっと増えればいいなと思います。