傍流雑記帳

「本流」をはずれたら、気づいたことがたくさんあった。

いわゆる「世間」について

最近読んだ「ひなた弁当」という小説がなかなか面白かったです。

50歳目前でリストラされてしまったオジサンが、公園で子供がどんぐりを拾っているのを見て、「食べてみようか」と思いつく。実際に調理して食べてみるとなかなかイケる。

さらに、野草の採取や魚釣りもしてみると、これが結構いい食材となることがわかり、これらを材料として弁当屋を始めたら、応援してくれる人もでてきて・・・というストーリー。

まあ、食材の安定調達という点では難しいような気もしますが、私もリストラ経験者ですので、共感できる内容でした。

ただ、この主人公が私と違うのは、妻子持ちだということです。会社をクビになったことが奥さんにばれると、「ご近所の目があるので、朝はきちんとスーツを着て今まで通りに出かけるように」と申し渡されてしまいます。「世間体」というやつですね。

仕方なく、公園をブラブラしていたら、「どんぐり」に出会って、という展開です。

日本では、コースから外れてしまった人は大変なんです、ほんとに。

 

ひなた弁当 (小学館文庫)

ひなた弁当 (小学館文庫)

 

 

ところで、以前からよく考えているのが、「日本はなぜ治安がいいのか」ということです。

諸外国に比べると、犯罪の発生率はかなり低いですし、東日本大震災のときも、政府の対応が非常にお粗末だったにもかかわらず、暴動や略奪も起きず、世界中から絶賛されたものです。

しかし、その一方で、企業の不正は後をたたないし、通り魔的な無差別殺人も増えています。

日本人の「善悪の判断」はどこにあるのか。そんな疑問に答えてくれたのが、「犯罪の世間学」(佐藤直樹著)です。

著者は、「日本の治安が良いのは、海外には存在しない『世間』があるから」と断言します。うーん、なるほど。まさに目から鱗です。

 

日本人は、ウチとソトを使い分ける社会のなかで、強力な同調圧力にさらされています。

ソトに対しては、厳しい世間の目がありますから、ひたすら「真面目」であることが要求されます。しかし、ウチでは「空気を読む」ことが大切で出た杭は打たれますから、コンプライアンスや事の善悪よりも「空気」の方が重要になっていきます。

一方、世間から排除されてしまった人は、その苦しさのあまり、凶悪犯罪にはしってしまう。著者は、「秋葉原無差別殺傷事件」などを例に出し、それらの犯罪を「ヤケクソ型犯罪」と呼んでおり、その根底にはかなりの割合で自殺念慮があることに言及しています。

 

最近は、なんとも気持ちの悪いニッポン礼賛が大流行りですが、その裏にある「世間による息苦しさ」に鋭く迫る一冊でした。